青い、雲をつかむような。

身の回りのこと、自分のこと、考えたこと。それは、まるで雲のように。

絶望中ですどうも

最近諸事情(察してください)で自己分析やら自分史やらを強制的に考えさせられることが多いんですけども、そうやって気付きたくもなかったことや気付かないふりしてたことを否が応でも直視させられるんですよね。

これがしんどいんだなぁ。

メタ認知がいかに難しいのかってことですよね。自分では元々ある程度自分のこと客観的に見れてたつもりなんですけど、でもそれは所詮「こう見られたい」っていうバイアスのかかった世界だったんだろうなぁって。って事実自体もしんどいしね。

 

 

しんどい自分的新事実なんて思い出そうとすれば腐るほどあるんですけど今はしんどいから今直面してることだけに言及させてください。

 

私のやる気スイッチは120%「他者からの承認」なんです。

 

いやあのね、これはある程度誰にでもあるものだと思うんですよ。でも、恐らく私の価値基準ないしはやる気スイッチを押すエネルギーにおける「他者」の存在が、異常に大きいんですよ。異常に。

というか自分のために頑張れないんですよ。いや承認欲求も結局は自己満だから自分のためなんですけど。そうじゃなくて純粋な自分のためというか。自分が成長するとか、自分が知識を得るとかいうために一切と言っていいほど頑張れないんですよ。

例えば何があるかというと、まず今課題を頑張れない。あと将来への活動(察してください)が頑張れない。なんかやる気というやる気が無い。

いやお前じゃあこれまでどうやって頑張ってきたんだよってお思いだと思うんですけど、高校までは圧倒的価値保有者の先生という存在がおりましてですね。わたくし成績よりも信用で戦っておりましたゆえ、先生からの評価を落とさないために頑張ってたんですね。というか小学校ころの私は異常に真面目でですね。中高一貫に通ってたんですけど、中1中2くらいまでも異常に真面目でですね。そのころの真面目さを高3まで引きずらされてたわけですわ。

高校受験もまあ周囲とか担任の評価のために頑張ってた節があったんですけどね。実は当時の私には先生なんかよりもっともっと大事な人がいたんですよ。ちょっと詳しくは述べませんけど(身バレが怖い)。まあ、大尊敬してた大人がいて、その人に会っても恥ずかしくないような人間になろうと必死でしたね。その人がいたから私は大学受験成功したといっても過言じゃないですね。

そんなこんなで優等生をこじらせてたので大学入って価値基準(先生)がいなくなった途端に急にどうやって頑張ればいいのかわからなくなりましてね。迷走する内に3年生になり、未来に絶望しか描けぬまま就活が始まり……みたいな感じです。どう考えても就活が私のテンションをダダ下げにかかってて、それが課題にも響いてるっぽいですね。

 

というか思うのですが、何でこんなに「頑張ろう」って思わないと私は生きていけないんですかね。世間一般の人もそうなんですかね。頑張ろうとか考えなくても頑張れる人っていないんですかね。頑張るのが苦痛な人間はどうすりゃいいんですかね。

 

あーーーー絶望。