青い、雲をつかむような。

身の回りのこと、自分のこと、考えたこと。それは、まるで雲のように。

劣等感万々歳バンバンジー(いつもながら迷走してるブログ)

私は、堂々としてる人・自分に自信がありそう(に見える)人がめちゃくちゃ苦手です。

 

 

過去の記事をお読みの方はお察しかと思いますが、私は陰キャです。

高校生の頃は間違いなく3軍女子に分類されていた人間でした。

高校生の当時はあんまり深く考えていなかったのですが、大学生になりコミュニティも変化し、就活なんかもしながら自分のことを考えていた時、「自分めちゃくちゃ会話苦手やんけ」ってことに気が付きました。で、その理由はシンプルに頭の回転が悪いこともあるとは思いますが、「自分の殻・キャラを破れない」=「他人の目を気にしすぎてる」っていうのも大きな要因であると分かりました。

 

私、わりと最近まで大人が言ってることは全部正しいと思い込んでいました。親はもちろん先生、バイト先の人、その他諸々大人が言うことであれば全部正解だと信じていました。(まあ実際は、相手の年齢に関わらず、人が言ったことは正しくて自分が言ったことは正しくないと思う傾向にあります。大人だと特に、という感じです。)

私はいわゆる「優等生」で(優等生レッテルを小学生の時に貼られた)、親や先生の言うことは何でも守ってるような人でした。「大人から褒められて評価されるか」が私の行動のすべての基準でした。

 

でも大学に入って、優等生なんてエラクもスゴクもなんともないただの空っぽ人間なんだって知ってしまいました。

大学ではめちゃくちゃ個性が尊重されるっていうのもありますが、当時勉強していた内容や1年生の時に出会った先生の影響が、かなり大きいです。優等生を嫌って、醜い本音を求める先生でした。

 

そこから、自分は何を指針にどうやって生きていけばいいのか分からなくなりました。

答えとしてはただ一つ、「自分を信じて進めばいい」んですけど、それが分かったところでずーーーっと他者からの視線基準で生きてた私には到底無理な路線変更。いまだに、無理です。

 

そんな私が一番怖いのは「周囲からのイメージを裏切ること」

 

って書こうとしてたんですけど、いざこうして書いてみるとなんか違いますわ。私の中には私の正解がすでにあって、それから外れるのが単に怖いだけの臆病者なだけな気がしてきました。

このまえ知り合いとカラオケに行って、たまたまハーレム状態だったのですが、その1人の男の子がめちゃくちゃ体張って場を盛り上げてくれました。その男の子は歌って叫んで躍って、それはもうすごくおもしろかったんですけど、頭の片隅で「あんなになれるのすごいな、私は場のためといえど道化になるのは無理」って考えていました。

 

つまり私は周囲から「真面目でイエスマンな良い子」って思われたくて、それを元に行動しているということです。それがあるべき姿で、それが正しいものだと思っているから。それを作り上げたのは周囲の大人や私がこれまで関わった人たちだと思います(遺伝の影響もあるにはあると思いますが)。

そしてそのあるべき正しい姿から外れる行動は恥ずかしいもので自分はやりたくないと思ってしまうのです。

だから私は道化になれない、面白いことも言えない、自分の意見に自信が無い。

 

 

 

 

話はちょっと飛ぶのですが

コミュニケーションって結局は経験値なのかなぁと、思いませんか。

自分が話して相手が楽しんでくれた、っていう経験が自信に繋がって、上達していくものなような気がします。

 

私の人生のターニングポイントは小学校高学年の頃かなと思います。

細かい時期とかは忘れてしまったんですけど、小学校中学年の頃に、私は当時所属していた女子グループのリーダー格女子から突然嫌われてしまいました。単に個人から嫌われるだけならまだよかったんですけど、質の悪いことに、そのグループのメンバーに「○○(aoikumo2)を口をきくな」と命令したようなんです。で、ある日急にメンバーが私と話してくれなくなりました。

他のメンバーは普通に友達だったので、放課後そのリーダーがいない時にこっそり「あの子(リーダー)に命じられて話さないでいたんだ」と教えてくれました。

でも結局、私はそのグループから離れることになりました。

グループから離れたら、元々クラスでひとりでいた女の子と一緒にいるようになりました。(友達……とは呼べない距離感だった気もしますが一人よりはまマシでした)。

しかし、その後小学校高学年になった後が最悪でした。クラス替えがあったのですが、そのクラスで完全に孤立しました。

ギャル予備軍のような女子グループ(俗にいう1軍女子)と、私を嫌ってるリーダー格女子がいるグループ(2軍女子)の2つにクラスがほぼ分かれてしまって、私はどちらにも所属することが出来ませんでした。もちろん個人的に仲良くする人は(特に2軍女子の中には)いましたが、修学旅行や発表の班決めではいつものけ者にされていました。大抵、自己中すぎてクラスから嫌われてた女の子と、転校してきて馴染めていなかった女の子の2人と班を組まされていました。

クラスの男子からはキモイと言われ、笑わない奴だと思われていたのでネタでにらめっこをさせられたりしました。1軍女子がとにかく怖くて、怒られないようにひたすら黙っていました。

班で席をくっつけなきゃいけない給食の時間は地獄だったし、早く卒業して解放されたくて仕方ありませんでした。

 

私は別にいじめにあっていたわけではないので、そのような方からしたら全然ひよっこみたいな感じだとは思いますが、私にネガティブを植え付けるには十分すぎた経験だと思っています。

 

中学は一人も知り合いがいないところに進学したため、そこで一からやり直そうと思っていたのですが、結果から言うと最初の頃は全然ダメダメでした。

最初の友達ができるまで凄く時間がかかりましたし、中1の時は極端に友達が少なかったです。自分の話にも自信が無いので、あまり自分から話しかけたりすることもできませんでした。自分の話しはどうせつまらないから……と決めつけていました(まあ今もですが)。

中学高校と進むにつれて段々と自分に合う人というのが分かるようになってきて、素直に話せる友達が増えてきた気がします。

 

でもまだまだ全然自信は無くて、周囲の会話に飛び込んで自分の話をするのは苦手です。そもそも、自分の話をするのが駄目なのかもしれない。自分の身にあったこと、自分の考えたこと、なんでも自信が無くて、どうせ誰も興味が無くてみんなつまらないと思ってる、と決めつけて、どんどん話せなくなる。

大人数でいる時は基本笑ってニコニコしてるだけだし、「今自分浮いてないかな……」ってそんなことばっかり考えてる。

 

 

 

多分、そんな私の嫌いななりたくない人種が、冒頭に書いた「堂々としてる人・自分に自信がありそう(に見える)人」なんだと思います。

堂々としてる人はね、単にムカつきますね。私はそういう人に逆らえないのでイエスマンにならざるをえないし、「なんで私はこんなにビクビクしながら生きてるってのにそーんな ”自分がルール” みたいな顔して生きていられるわけ?????」ってイライラしてしまう。

自信がありそうな人はね……いやこれは単なる妬みかもしれないな(笑) 書き出すと長くなるんで今回は詳細は描きませんが、特に自分が比較的得意だと自負してる分野(音楽、美術)で「自分出来ます」みたいな顔してる人がいるとめちゃイラっとしてしまう(笑) ごめんね勝手に妬んで。

 

 

 

そういう嫌いな人たちっていうのは、私の中で「正解じゃない」って判断されているんだと思います。

前半の話に戻りますが、私は自分が親や先生などの大人の言うことが全てだと思っていて、そんな大人から扱いやすい「真面目でイエスマンな良い子」が世界に存在する唯一無二な正解だと信じ込んでる。だから、この正解に当てはまらない人を見ると、めちゃくちゃ毛嫌いしてしまう。

……多分。

 

 

 

 

 

就活でも散々自己分析したのですが、そもそも考えるのが苦手なのかいつも堂々巡りをして正解に辿り着けません。いつもグダグダな文章ですみません。でも綺麗な文章にしたら私じゃないなとも思うんです。私が考えたことをそのまま発信するような場にしたいんです、ここは。

私は、毒親育ちじゃないし、いじめられたわけでもない(ハブられてはいたけど)ので、いつもは自分の過去の辛かった経験をあんまり語れないんです。これくらい、まあ普通のことなのかなって思ってしまって、自分なんかが「辛かった」って主張するのはおこがましいのかなって……。でも、人から見たら大したことない・しょーもないような経験かもしれなかったけど、私にとっては確実に大打撃で、現在まで根が深い問題なんです。キャパシティは人によって違うから、許してください……。