青い、雲をつかむような。

身の回りのこと、自分のこと、考えたこと。それは、まるで雲のように。

わたしを みつけて

 

 

他者を思いやる気持ちが強い

 

 

と言えば聞こえはいいかもしれないが、実際はそんなことは無い。

他の人のことを考えすぎて、よく私は自分をどこかへ置き忘れてきてしまう。

 

 

 

いわゆる“キャラ”では悩み続ける人生である。

 

小学校高学年になる頃、なぜか私は優等生キャラ認識されていた。本当の自分と周囲からの評価にギャップを感じながらも、クラスの中で弱い立場だった私は、ただ黙ることを覚えていった。

一度染みついたキャラは中々取れず。しかし中学高校と周囲の人に恵まれたおかげで、私は仮面被りの優等生から、猫かぶり身内フィーバータイプのコミュ障へと進化を遂げた(進化なのか?という反論はお引き取り願いたい)。

 

 

元々優等生だった私は他者からの目をとても気にした。どうすることで周囲の反感を買わないか、周囲からの評価が上がるかをいつも考えていた。

 

 

元来私は自己主張の激しい人間である。どこまで自己中利己的自分勝手で可能であるなら一人で生きていきたい、そんな人間だ。

と同時に自分に甘く他人に厳しい、そして同族嫌悪の激しい人間だった。

 

周囲の自己主張の激しい人を嫌い、反面教師とし、自分はそんな奴らとは違うんだと思ってきた。

思うことは行動に表れる。

つまり私は自己主張を減らしていくように努力した。

 

 

 

 

気付いたら、私の中には何も無かった。

 

 

 

 

特に、私の中には恋愛感情が無かった。

 

 

 

 

私の中にあるのは「情」だけだった。

 

ある人を心配に思い、同情し、救いたいと思い、最善を尽くす。それが男であれ、女であれ。

優しくすると、周囲の私の評価は上がる。優しくすると、私の行きやすい社会が形成される。

 

 

はず、だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

優しさを安売りして失敗するのはこれで二回目である。

 

何故懲りずに二回も失敗しているのかというと、一回目の相手がひときわ悪かったために、私は事の顛末の責任を全部その人に押し付けたのだ。私は何も悪くないと言わんばかりに。

 

 

優しさは安売りすればいいってもんじゃないのだろうか。

 

なぜ異性は私に優しくされると私のことを好きになるのか。

 

私は何か間違っているのだろうか。

 

 

 

好きと言われて、もちろん嬉しい。私も好きだよ、少なくとも友達として、と思う。

私は今まで誰かのことが好きという感情を抱いたことがないのだ。だから相手の気持ちが分からず、相手の期待にも沿えず、相手を傷つけて、終わる。

 

 

 

なんで。

 

なんでこうなるの。

 

どうしてこうなっちゃうの。

 

 

 

 

 

 

 

私には恋愛感情が無い。だれか、助けて……。