青い、雲をつかむような。

身の回りのこと、自分のこと、考えたこと。それは、まるで雲のように。

“好き”について

“好き”

これまでの人生で、私を幾度と無く苦しめてきた言葉。

初恋のあの人のことも、趣味のことも、告白されたことも。“好き”という言葉は、いつだって私を苦しめる方にしか働いてくれない。幸せなはずのその言葉は、私を不幸へといざなっていく。

“好き”って言葉ほど、あやふやであいまいで、信じられないものはないと思っている。
どんなに揺らぐことはないと思っていても、案外あっさり消えてしまうものだし。どうして好きだったのか、分からなくなるほどに。

そう。
私はきっと、自分の発する“好き”という言葉に自信が持てないんだ。


色々書きたいことはあるのだけれど、今回はひとつだけ聞いて欲しい事例がある。

私は数年前、確かにある男性アイドルグループのファンだった。
それなりに歴史あるグループだったから、新米であるということもあってあまり自分に自信は持てていなかったけれど、確かに私は彼らのファンだった。

おかしいくらいに、好きだった。
気が狂ったように追いかけていた。
世界が、彼らで埋め尽くされていた。

でも、私は怖かった。

私は臆病だった。自分の知らない彼らがいることが嫌で、何よりそれを知らなかった過去の自分がとてつもなく嫌で。だから、いつも知ることを恐れていた。彼らの過去を知るのが怖かった。ひとつでも番組を見逃すのが、怖かった。新しい彼らをひとつ知る度に、私はひとつ傷ついていた。

彼らのアニバーサリーが来るのは、本当に本当に恐怖だった。
きっとたくさん昔話をするだろう。
そしてそのたびに、私は酷く傷つくのだろう。

私の心は、既に相当疲弊していた。
嫌だ。もう傷つきたくない。平和に、心の安寧を保って、静かに、暮らしたい。
これ以上はもう。もう。

丁度彼らのアニバーサリーは私の受験に被った。
私は逃げるようにして、彼らを追いかけるのをやめた。


ううん。違うや。
逃げたんだ。彼らから。


受験は無事に終わった。
終わったら腹を括って彼らと向き合おうと思っていた。
でも中々その機会を設けられずにいて。ずるずると。ずるずると。


気付けば、時はこんなに経過していた。




彼らのいない日々は、最強につまらない。
受験期に比べたら自由なはずなのに、私の毎日はモノクロのままだ。



昨日、ふと気が向いて彼らのことが書いてある文章を読んだ。
彼らは相変わらずキラキラしていた。
それを感じて、私の胸もときめいた。

もう一度彼らを追いかけたい。

そう思うのだけど。

でも、いつも臆病な私がその一歩の邪魔をする。



好きなのに傷つく。
好きなのに追いかけられない。


これが、私が“好き”という言葉が嫌いなひとつの理由だ。