青い、雲をつかむような。

身の回りのこと、自分のこと、考えたこと。それは、まるで雲のように。

自己肯定感の低さを考える

こんにちは。aoikumo2です。

突然ですが、昔話をしたいと思います。

というのも、私は極度の寂しがり屋で承認欲求が強いのですが、それは恐らく自己肯定感が低いことが原因にあると考えています。

そこで、今回は私の自己肯定感が低い原因となった昔の出来事について考えたいと思います。

 

小学校高学年のころ、私はクラスに居場所がありませんでした。

別にいじめられていたわけではありません。ただ、ある一人の女子に嫌われたことで仲良しグループから追い出され、クラスの中で孤立してしまいました。

当時クラスで幅を利かせていたのは、性格がキツく話し方も高圧的ないわゆる1軍女子や1軍男子でした。相手の気に食わないことを言えば逆ギレのように反発され、キモイとか死ねとか普通に言ってくる人が、たくさんいるクラスでした。

私は体格がクラスで一番小さく、性格もおとなしめの優等生だったため、常に存在感を消そう消そうと努めていました。

机をくっつけて食べる給食は、キモイと言われたり机を蹴られるのが怖く、嫌で嫌で仕方ありませんでした。

修学旅行は当たり前にクラスの余りものグループでした。

 

休み時間だけは救いでした。

自分のクラスには友達が一人もいない状況だったのですが、隣のクラスには仲の良い友達が沢山おり、いつも一人だけ隣のクラスの輪に混ぜてもらっていました。

男女問わず所属していたグループで、本当に仲が良かったと思います。

私も、隣のクラスがよかったなぁと、何度思ったことか。

 

小学校高学年の2年間、長時間過ごすクラスの中で居場所が無く、息をひそめやり過ごしていた時間は、私に劣等感を植え付けるには十分すぎました。

長い期間いじめられている人や、家庭環境が悪い人などと比べると本当にちっぽけなことだと思いますが、私の自己肯定感の低さのルーツは、恐らくここにあります。

これに、「優等生レッテル」が加わり、私は人前で素の状態をさらけ出すことができなくなっていました。

 

「自己肯定感が異常に低い」「優等生レッテル」の二本柱は、後にこじれにこじれて高校時代の希死念慮に繋がっていきます。

近年は少しずつ快方へは向かっていますが、未だに自分の心の中に深く根が残っている状況です。

甘え(支離滅裂)

(今回もかなり支離滅裂な文章です。かなりの乱文。)

 

 

 

雷が落ちたように何かが分かることってある。

 

そう、例えば今の私。

これまでの人生、私は過去の出来事をズリズリ引きずり回して、後ろばっか見て生きてきてた。過去の出来事を言い訳にして、色んなものに甘えまくってた。

私の人生は甘えそのもの。

顔も性格も良くないけど、私は愛嬌だけで生きてきた。愛嬌に逃げてどうにかするのだって甘え。

あの出来事も、この行動も、自分の人生は甘え100%と言っても過言じゃないと思う。

つい半日前言ってた自分の言葉が全部信じられなくなる。

私たちはきっと強くなる必要なんてなくて、ただ甘えを断てばいいだけなんだ。少なくとも私はそうだ。

甘えて、世間に媚びて、それで許されて生きてきた。なんて生ぬるい人生なのか。

 

私は恐ろしくネガティブな人間である。でもネガティブって所詮甘えなんじゃないかと気付いてしまった。

これからどうしようとかいう気概が足りない。現状を変える気が無い。ただの甘え。

甘え。甘え。甘え。甘え。甘え。

 

なんかでもよく分かんない。高校生の頃から割とつい最近まで、未来なんていらない死にたいって思ってたから、自分から何かを変えたり努力したりする気力が全く湧かなかった。

でも、甘えは良くない、断ちたい、って思いは未来志向じゃないの。

自分が、未来が欲しいのかどうかはよく分かんない。

 

今私の頭の中は

「甘え!!!全部全部甘え!!!甘え!!!良くない!!!良くない!!!」

ってことがぐるぐるしてて全然まとまんない。

何より、これまで生きてきた人生全てを否定してる気分で戸惑いも大きい。

困惑。

劣等感万々歳バンバンジー(いつもながら迷走してるブログ)

私は、堂々としてる人・自分に自信がありそう(に見える)人がめちゃくちゃ苦手です。

 

 

過去の記事をお読みの方はお察しかと思いますが、私は陰キャです。

高校生の頃は間違いなく3軍女子に分類されていた人間でした。

高校生の当時はあんまり深く考えていなかったのですが、大学生になりコミュニティも変化し、就活なんかもしながら自分のことを考えていた時、「自分めちゃくちゃ会話苦手やんけ」ってことに気が付きました。で、その理由はシンプルに頭の回転が悪いこともあるとは思いますが、「自分の殻・キャラを破れない」=「他人の目を気にしすぎてる」っていうのも大きな要因であると分かりました。

 

私、わりと最近まで大人が言ってることは全部正しいと思い込んでいました。親はもちろん先生、バイト先の人、その他諸々大人が言うことであれば全部正解だと信じていました。(まあ実際は、相手の年齢に関わらず、人が言ったことは正しくて自分が言ったことは正しくないと思う傾向にあります。大人だと特に、という感じです。)

私はいわゆる「優等生」で(優等生レッテルを小学生の時に貼られた)、親や先生の言うことは何でも守ってるような人でした。「大人から褒められて評価されるか」が私の行動のすべての基準でした。

 

でも大学に入って、優等生なんてエラクもスゴクもなんともないただの空っぽ人間なんだって知ってしまいました。

大学ではめちゃくちゃ個性が尊重されるっていうのもありますが、当時勉強していた内容や1年生の時に出会った先生の影響が、かなり大きいです。優等生を嫌って、醜い本音を求める先生でした。

 

そこから、自分は何を指針にどうやって生きていけばいいのか分からなくなりました。

答えとしてはただ一つ、「自分を信じて進めばいい」んですけど、それが分かったところでずーーーっと他者からの視線基準で生きてた私には到底無理な路線変更。いまだに、無理です。

 

そんな私が一番怖いのは「周囲からのイメージを裏切ること」

 

って書こうとしてたんですけど、いざこうして書いてみるとなんか違いますわ。私の中には私の正解がすでにあって、それから外れるのが単に怖いだけの臆病者なだけな気がしてきました。

このまえ知り合いとカラオケに行って、たまたまハーレム状態だったのですが、その1人の男の子がめちゃくちゃ体張って場を盛り上げてくれました。その男の子は歌って叫んで躍って、それはもうすごくおもしろかったんですけど、頭の片隅で「あんなになれるのすごいな、私は場のためといえど道化になるのは無理」って考えていました。

 

つまり私は周囲から「真面目でイエスマンな良い子」って思われたくて、それを元に行動しているということです。それがあるべき姿で、それが正しいものだと思っているから。それを作り上げたのは周囲の大人や私がこれまで関わった人たちだと思います(遺伝の影響もあるにはあると思いますが)。

そしてそのあるべき正しい姿から外れる行動は恥ずかしいもので自分はやりたくないと思ってしまうのです。

だから私は道化になれない、面白いことも言えない、自分の意見に自信が無い。

 

 

 

 

話はちょっと飛ぶのですが

コミュニケーションって結局は経験値なのかなぁと、思いませんか。

自分が話して相手が楽しんでくれた、っていう経験が自信に繋がって、上達していくものなような気がします。

 

私の人生のターニングポイントは小学校高学年の頃かなと思います。

細かい時期とかは忘れてしまったんですけど、小学校中学年の頃に、私は当時所属していた女子グループのリーダー格女子から突然嫌われてしまいました。単に個人から嫌われるだけならまだよかったんですけど、質の悪いことに、そのグループのメンバーに「○○(aoikumo2)を口をきくな」と命令したようなんです。で、ある日急にメンバーが私と話してくれなくなりました。

他のメンバーは普通に友達だったので、放課後そのリーダーがいない時にこっそり「あの子(リーダー)に命じられて話さないでいたんだ」と教えてくれました。

でも結局、私はそのグループから離れることになりました。

グループから離れたら、元々クラスでひとりでいた女の子と一緒にいるようになりました。(友達……とは呼べない距離感だった気もしますが一人よりはまマシでした)。

しかし、その後小学校高学年になった後が最悪でした。クラス替えがあったのですが、そのクラスで完全に孤立しました。

ギャル予備軍のような女子グループ(俗にいう1軍女子)と、私を嫌ってるリーダー格女子がいるグループ(2軍女子)の2つにクラスがほぼ分かれてしまって、私はどちらにも所属することが出来ませんでした。もちろん個人的に仲良くする人は(特に2軍女子の中には)いましたが、修学旅行や発表の班決めではいつものけ者にされていました。大抵、自己中すぎてクラスから嫌われてた女の子と、転校してきて馴染めていなかった女の子の2人と班を組まされていました。

クラスの男子からはキモイと言われ、笑わない奴だと思われていたのでネタでにらめっこをさせられたりしました。1軍女子がとにかく怖くて、怒られないようにひたすら黙っていました。

班で席をくっつけなきゃいけない給食の時間は地獄だったし、早く卒業して解放されたくて仕方ありませんでした。

 

私は別にいじめにあっていたわけではないので、そのような方からしたら全然ひよっこみたいな感じだとは思いますが、私にネガティブを植え付けるには十分すぎた経験だと思っています。

 

中学は一人も知り合いがいないところに進学したため、そこで一からやり直そうと思っていたのですが、結果から言うと最初の頃は全然ダメダメでした。

最初の友達ができるまで凄く時間がかかりましたし、中1の時は極端に友達が少なかったです。自分の話にも自信が無いので、あまり自分から話しかけたりすることもできませんでした。自分の話しはどうせつまらないから……と決めつけていました(まあ今もですが)。

中学高校と進むにつれて段々と自分に合う人というのが分かるようになってきて、素直に話せる友達が増えてきた気がします。

 

でもまだまだ全然自信は無くて、周囲の会話に飛び込んで自分の話をするのは苦手です。そもそも、自分の話をするのが駄目なのかもしれない。自分の身にあったこと、自分の考えたこと、なんでも自信が無くて、どうせ誰も興味が無くてみんなつまらないと思ってる、と決めつけて、どんどん話せなくなる。

大人数でいる時は基本笑ってニコニコしてるだけだし、「今自分浮いてないかな……」ってそんなことばっかり考えてる。

 

 

 

多分、そんな私の嫌いななりたくない人種が、冒頭に書いた「堂々としてる人・自分に自信がありそう(に見える)人」なんだと思います。

堂々としてる人はね、単にムカつきますね。私はそういう人に逆らえないのでイエスマンにならざるをえないし、「なんで私はこんなにビクビクしながら生きてるってのにそーんな ”自分がルール” みたいな顔して生きていられるわけ?????」ってイライラしてしまう。

自信がありそうな人はね……いやこれは単なる妬みかもしれないな(笑) 書き出すと長くなるんで今回は詳細は描きませんが、特に自分が比較的得意だと自負してる分野(音楽、美術)で「自分出来ます」みたいな顔してる人がいるとめちゃイラっとしてしまう(笑) ごめんね勝手に妬んで。

 

 

 

そういう嫌いな人たちっていうのは、私の中で「正解じゃない」って判断されているんだと思います。

前半の話に戻りますが、私は自分が親や先生などの大人の言うことが全てだと思っていて、そんな大人から扱いやすい「真面目でイエスマンな良い子」が世界に存在する唯一無二な正解だと信じ込んでる。だから、この正解に当てはまらない人を見ると、めちゃくちゃ毛嫌いしてしまう。

……多分。

 

 

 

 

 

就活でも散々自己分析したのですが、そもそも考えるのが苦手なのかいつも堂々巡りをして正解に辿り着けません。いつもグダグダな文章ですみません。でも綺麗な文章にしたら私じゃないなとも思うんです。私が考えたことをそのまま発信するような場にしたいんです、ここは。

私は、毒親育ちじゃないし、いじめられたわけでもない(ハブられてはいたけど)ので、いつもは自分の過去の辛かった経験をあんまり語れないんです。これくらい、まあ普通のことなのかなって思ってしまって、自分なんかが「辛かった」って主張するのはおこがましいのかなって……。でも、人から見たら大したことない・しょーもないような経験かもしれなかったけど、私にとっては確実に大打撃で、現在まで根が深い問題なんです。キャパシティは人によって違うから、許してください……。

ストレスと自傷行為(?)

ご無沙汰しております。当方、いつもと変わらぬ鬱々とした日々を送っています。

そして今日も変わらず課題に追われています。いつも同じような時にしかブログを開いていませんね……本当はもっといろんなことを発信したいのですが……。

 

ここのところ毎週やっている課題があるのですが、それをするとき異様にストレスを感じます。

すっごくイライラして全然集中できず(現にこうしてブログ書いてる)、いつも逃げるように漫画読んだりゲームしたり……ほんと超絶非効率で生きています。

それでイライラしていたのでなんとなく腕を噛んでいたのですが、ふと最近「腕を噛むのも立派な自傷行為だよ」というような内容をTwitterで見たような気がして、気になって色々検索していました。

 

自傷行為というとやはり代表的なのはリストカットですよね。

私はまあリストカットはしたこと無いんですけど、主に自分自身のことで日常的にストレスが溜まると腕や手の甲を噛んだり、腕や脚に爪立てたりしてしまいます。

私の場合は「痛み」を得ようとしてそれらの行為をしているのではなくて、何かを「噛みたい」「強い力をかけたい」と思ってやっているので、厳密に言うと自傷行為とは違うのかもしれません……イライラするとすぐ暴力に走るいじめっ子みたいな感じなんですかね。その暴力が自分に向かってるって感じだと思います。

 

昔から、何かにイライラすると全部その矛先を自分に向ける癖があったような気がします。

中学から高校にかけての頃、それが「自虐」という形で一番強く出ていた時期でした。

学校にいる時や家族といる時は別に普通なのに、一人で帰るときや一人で部屋にいる時は自責の念に圧し潰されそうになってました。

私は一般的に言う優等生キャラで、友達からも先生からも信頼されていたように思いますし、勉強や行事にも熱心に取り組むタイプでした。でも、毎日家で一人になるとすごくネガティブになって自分のことを責め続けていました。

平気で毎日自殺方法を空想する日々だったのですが、当時でもリスカはしませんでした。代わりに、ビニール袋で鼻と口を覆って沢山呼吸をし、酸素不足で息苦しくなる……というのをやってました。これも自傷行為だったんですかねぇ……。

 

 

…………ということで、自分を痛めたりブログ書いて時間を浪費したりしないで、真面目に堅実に課題ができるようになりたいです(涙目)なんだ、私はドMなのか。そんなに徹夜して体痛めて課題やりたいのか。なんてアホな子……。

 

なんでこんなに自虐してしまうのかについては、また機会があれば書きたいです。あと、性別(ジェンダーセクシュアリティ)についても色々思うところがあるから書きたいな。

中々悩み多き人生を送ってるので、その一端をこうしてここに吐き出していけるようになりたいものです。

メンヘラによるメンヘラ論

皆さんはメンヘラってご存知ですか。なんかここ数年流行ってる感じがするので恐らく皆さん何となく分かっていらっしゃるかなと思うのですが。

私の周りには「自称メンヘラ」がなんでかたくさんいるんですよ。私も、自他共に認めるメンヘラなようです。

でもTwitterとか、あとはGoogle先生とかにメンヘラとは何ぞやって聞くと……自分は別に薬に頼ってるわけじゃないし、なんかほんとにメンヘラなのかなぁ……?と思うわけです。精神的に軟弱で激ネガティブだなとは思いますが。

 

なのでまあ一般的な解釈は知らないですけど私的メンヘラを定義しますと、

「自分を律して生きることが難しく、生きる上で他人の精神的支えを必要としている人」

かなって思います。

 

で、なんか優等生思想に縛られてたり優性思想があったりする私は、どうやら「メンヘラは失敗作」みたいな感じで思ってるみたいです。つまり、私は自分自身が失敗作だと思ってるようです。

自分が失敗作とか、自己否定の塊かよ……って感じですけど。

 

だから私はメンヘラしている自分が極端に許せないんですよね。

私がメンヘラしやすいのって、まあきっと多くの人もそうだとは思うのですが、気の置けない友人の前だったり(好きな)異性の前だと思うんですよ。私は後者がちょっと顕著で、好きというか、仲良くなった異性にメンヘラする確率がめちゃくちゃ高いんですよね。

メンヘラって、嫌悪されることが多くて、「彼女がメンヘラだった最悪」とか「メンヘラ彼女からやっと解放された」とか言われると思うんですけど、メンヘラだってメンヘラするのめっちゃしんどいんでメンヘラやめたいっていつだって思ってるんですよ。

 

だからなんか私は自分がメンヘラしてると、他人に迷惑かけてる自分にめちゃくちゃ自己嫌悪して、メンヘラ思考してる自分が心底面倒くさくて、だから、

 

私は二度と恋したくねぇって思ってます。

 

すごい勝手なイメージなんですけど、メンヘラって自分の精神的支柱を求めてるので恋人を作りたがるんじゃないかなって思うんですよ。でも私は逆で、完璧な(理想の)自分になるためにはメンヘラしてる自分が邪魔で、というか本当にメンヘラしてる自分がめんどくさいので、いっそのこと恋なんかしねぇ馬鹿野郎、ってなります。

 

だから私が目指してるのは天涯孤独で二度とメンヘラを発症しない人生です。まあ、難しいですけどね。

絶望の中で光となるのはなんなのか。今の私にその光はあるのか。未来なんてあるのか。

毎日がどうしようもないです。

なんというか、かんというか、なんで私はこんなにも人生に絶望しながら生きなくてはならないのでしょうか?

人生の分岐点において絶望するのは私の癖みたいで、よく考えたら以前も絶望したことありました。人生は選択の繰り返しみたいなフレーズを聞いたことがある気がするんですけど、だとしたら私にとっては人生は絶望の繰り返しってことじゃないですか。え、救いが無さ過ぎでは。

 

 

生きるモチベーション的なものを、私は自家発電することができないんですよ。

私には今、神みたいな友達がいて、その友達とどんな他愛のない内容でも話したりLINEしたりすることで、私の精神衛生は勝手に爆上がりするんです。まさに神、いや、救世主?(階級下がったな)

でも一生その友達におんぶにだっこで生きていくわけにはいかないじゃないですか。いつかは離れなきゃいけないわけじゃないですか(……って自分で打っててしんどくなってきた)。

 

で、その神に「あなた無しでどうしたら生きるモチベーションを保てるだろうか」って聞いたら「お前には趣味が無いのか」って返されました。……趣味かぁ。

 

私には元々結構たくさん趣味があったんですけど、大学受験で心を殺してしまったのか、大学に入った瞬間全部の趣味が私から逃げていったんですよね。

その中には、本当に小さいころから続けていた、大好きだったはずの趣味も含まれていて。今日試しにそれを久々にやってみたのですが、途中で空しくなってやめました。

心が、動かないんだよなぁ……。

 

そんなこんなで私には悲しいかな趣味が無く、というか多分趣味以前の問題でそういうものに動かされる心が無く。神と一緒にいられる時間も限られており。そのほかに、今私がかろうじて生きることにつながっているコミュニティがあるのですがそれも近々終わり。

 

……生きるモチベーションが、本当に、無い。

 

生きる気が無いと、人間ってただひたすらに死ぬまでのカウントダウンを始めてしまうんですよね。私はネガティブな人間なので、「生きてりゃいいことあるって」みたいな考え方もできないので、尚更。惰性で毎日を生きて。今日1日をやり過ごすことしか考えていなくて。そうして時間が地味に地味に進むのをただひたすらに待って。死ぬ日が早く来ないかとじっと息を殺して待つんです。待つんです。

自分の未来が、うまくいく想像が1ミリもできないんです。

 

 

こんな私の絶望をこうしてつらつら綴っても、もう本当にどうしようもないんですけどね。誰かの救いになるわけでもなく。

こんなものをブログに書く暇があったら、多分、前向きな思考をする訓練でもしとく方がまだマシなんですよ。うん、分かっては、います。

 

でも、こうして絶望してどうしようもなくなるところまでが自分なんだなぁ……って最近思うんです。絶望してる方が、私の通常運転なのかもしれない。

こんな私と仲良くなれる気は全くしていないのですが、この世で生きる上ではこのどうしようもないネガティブヤローのクソネガティブに付き合わなっくっちゃならないらしいです。あー、ほんと……。

絶望中ですどうも

最近諸事情(察してください)で自己分析やら自分史やらを強制的に考えさせられることが多いんですけども、そうやって気付きたくもなかったことや気付かないふりしてたことを否が応でも直視させられるんですよね。

これがしんどいんだなぁ。

メタ認知がいかに難しいのかってことですよね。自分では元々ある程度自分のこと客観的に見れてたつもりなんですけど、でもそれは所詮「こう見られたい」っていうバイアスのかかった世界だったんだろうなぁって。って事実自体もしんどいしね。

 

 

しんどい自分的新事実なんて思い出そうとすれば腐るほどあるんですけど今はしんどいから今直面してることだけに言及させてください。

 

私のやる気スイッチは120%「他者からの承認」なんです。

 

いやあのね、これはある程度誰にでもあるものだと思うんですよ。でも、恐らく私の価値基準ないしはやる気スイッチを押すエネルギーにおける「他者」の存在が、異常に大きいんですよ。異常に。

というか自分のために頑張れないんですよ。いや承認欲求も結局は自己満だから自分のためなんですけど。そうじゃなくて純粋な自分のためというか。自分が成長するとか、自分が知識を得るとかいうために一切と言っていいほど頑張れないんですよ。

例えば何があるかというと、まず今課題を頑張れない。あと将来への活動(察してください)が頑張れない。なんかやる気というやる気が無い。

いやお前じゃあこれまでどうやって頑張ってきたんだよってお思いだと思うんですけど、高校までは圧倒的価値保有者の先生という存在がおりましてですね。わたくし成績よりも信用で戦っておりましたゆえ、先生からの評価を落とさないために頑張ってたんですね。というか小学校ころの私は異常に真面目でですね。中高一貫に通ってたんですけど、中1中2くらいまでも異常に真面目でですね。そのころの真面目さを高3まで引きずらされてたわけですわ。

高校受験もまあ周囲とか担任の評価のために頑張ってた節があったんですけどね。実は当時の私には先生なんかよりもっともっと大事な人がいたんですよ。ちょっと詳しくは述べませんけど(身バレが怖い)。まあ、大尊敬してた大人がいて、その人に会っても恥ずかしくないような人間になろうと必死でしたね。その人がいたから私は大学受験成功したといっても過言じゃないですね。

そんなこんなで優等生をこじらせてたので大学入って価値基準(先生)がいなくなった途端に急にどうやって頑張ればいいのかわからなくなりましてね。迷走する内に3年生になり、未来に絶望しか描けぬまま就活が始まり……みたいな感じです。どう考えても就活が私のテンションをダダ下げにかかってて、それが課題にも響いてるっぽいですね。

 

というか思うのですが、何でこんなに「頑張ろう」って思わないと私は生きていけないんですかね。世間一般の人もそうなんですかね。頑張ろうとか考えなくても頑張れる人っていないんですかね。頑張るのが苦痛な人間はどうすりゃいいんですかね。

 

あーーーー絶望。